ココロ未来学院、社会起業家で在るために

社会起業家としての活動をコメントしていきます

『環境危機』・『持続可能性』を”哲学”する

大阪府立大学の現代システム科学域連続セミナー2019年第1回へ出かけてきました。

 

普段、自分の思考だけで研究・活動テーマを考えているとついつい小さい世界で物事を考えてしまうものなんです。

たまにはセミナー(程々に)やフォーラム等へ出かけて刺激をもらわないと、と思います。

 

<講義内容>

  1. 「環境危機」と「持続可能性」の時代
    「環境危機」や「持続可能性」が論じられるようになった時代背景、言葉に含まれる矛盾について考える。
  2. 環境哲学のアプローチ
    人間にとっての”環境”の構造と、600万年の人類史から、現代の環境危機の根源を考える。
  3. 持続可能性をどう定義するのか
    現代社会における、三つの持続可能性について考える。

 

  • まずは、何故この講義内容が必要だったかを考えた。
    現代社会において「環境危機」で連想される事やイメージが非常に少なく、また人類がその本質を考える機会を必要とすることがないことで「人類危機」を見失っている筈だ。それが「持続可能性」のいきつく結果になるであろう未来を考えることで、改めて人間の愚かさと賢さ両面を共有しなければならない。

  • そもそも環境哲学を論じるわけとは何か?
    45億年前に地球が誕生し、多くの火山活動や人類に有害な紫外線が多大に注いでいたが35億年前に海中等に生き物が生まれた。20億年前シアノバクテリア光合成により酸素が大気中に満ちてオゾン層が地球を覆い600万年前に人類が誕生することになる。ここまでが環境哲学の序章である。
    人類の本能は生きるための縄張り争いを繰り返し、縄張りづくりは独裁者を誕生させ、産業革命、戦争を起こした結果、エネルギーの取り合いも兼ね環境がバランスを崩すことになってしまった。これが「持続可能性」という言葉を大義におかなければならないのだ。

  • 環境危機×持続可能性
    近年、気候変動による不安な生活が続く。いわゆる二酸化炭素の濃度の上昇によりオゾン層が破壊へ向かっているという。森林伐採、海洋汚染、大気汚染は人類が自ら興し、だから「持続可能な開発目標」がミレニアムを経て2030年アジェンダを目指し、おそらく引き続き2050年に向けて人類は終わりのない開発目標を追い続ける。